卒論提出、の日
まあ、(どんな内容であれ)提出できたことを喜ぼう。
それにしても、疲れた・・・
今年の修羅場。助っ人も多数。お菓子も多数・・・
打ち上げ風景。ここに至るまでに、すでにビール1缶、日本酒1本が消費されていることは、秘密・・・
翌日は大雪だったが、一日ずれなくて良かったね。
まあ、(どんな内容であれ)提出できたことを喜ぼう。
それにしても、疲れた・・・
今年の修羅場。助っ人も多数。お菓子も多数・・・
打ち上げ風景。ここに至るまでに、すでにビール1缶、日本酒1本が消費されていることは、秘密・・・
翌日は大雪だったが、一日ずれなくて良かったね。
今年も参加できるうれしさよ・・・
そのために、ベトナムから帰ってきたのだった。
ハナも衛府も大喜び。これだけ喜んでもらえるなら、運転手の苦労も報われるというもの。
来年も参加できるように、頑張ろうね!
ご一緒して下さったみなさまに感謝いたします。
わらわらと黒犬がいる中で、一人ラブラドールの衛府は目立つ。が、やることは一緒。
今回はハナが最年長。みなさんに祝福していただいた。
ハナも満面の笑顔。一番右。
で、いつものように崖を歩いてみる。
と、何か面白いことがあるのかと、他の犬が確認に来る。
と、さらに他の犬もやって来る。ということを繰り返す。
衛府までやって来る・・・
上に誰がいるのかを確認してから、あがって追いかけるか、下から脅すか、それとも無視するか、を決める。今年は、衛府のチンピラぶりは(さすがに)ましになった。
で、爆走する衛府。
ハナは風の匂いを楽しむ。後ろで、同居人が他の犬に(喜んで)襲われている。
食べ物のあるところにハナの姿有り・・・
一番良い位置にいる。
ボール遊び。衛府はべべにいる。
で、足が痛くなり、リードをつけられてしまう。
が、ご機嫌。
ということで、衛府の膝が痛くなり、後日検査の結果手術をすることになった。あああ、病院通いがまた始まる~!
明日は帰国。(学生の卒論草稿なんぞが待っている)日本に帰りたくないよ~!
帰国便が早朝出発なので、朝の5時にはホテルを出る。なので、3:30起き。3:30就寝ならば得意だけど、3:30の起床は大きな課題だ・・・
さて、今日はデータ整理を終えれば、フリーの日。なので、さっさと終えて、町歩きへ。
旧正月(今年は2月9日)で新年を祝うベトナムの元旦は、いつもの休日(日曜日)と変わらない。といっても、金曜日なので、ちょっとした連休気分らしく、みんなうきうき、にこにこしているような気がする。
午前中に教会の鐘の音がしたので、そうか、元旦のミサが始まるのだな、と思い、ならば教会内部を見学できるぞ、と気づいてお出かけ。ベトナム語のミサも拝見する。香炉がたかれ、揺らされ、鈴が鳴らされ、パイプオルガンが演奏される重厚なミサだった。それにしても、宗教者の祈りの声って、(意味がわからなくても)どうしてああ「ありがたく」聞こえるのだろうか。
途中、喜捨を集めるおばさんがバケツ(異国の異教徒にはそう見える)を持ってやってきたので、いくばくかのお札を入れる。これが教会の建築・文化財の維持管理に役立つならばうれしいこと。
バスに乗りたくなって、9番に乗り込む。これはいわゆる環状線バスなのだけど、内回りと外回りで微妙にルートが違う。2年前、それに気づかずに乗ってしまってから慌てたことがあったけど(知っているバス・ターミナルには絶対に行く、と思い至ったので安心したけどね)、今回は行き先表示を見て区別する、という技を身につけた。ので、間違わず。
ちなみに、今回いくつかのバス停の名称が変わっていることに気づいた。わたしは車内アナウンスで判断せず(どうせベトナム語はわからない)、まわりの景色で降りるべき場所を判断するから関係ないけど。
で、今回もすべての乗車で席を譲られた。まあ、仕方ないよね。でも、若者が私の顔を見て、ちょっと考えてから譲ってくれたので、この「ちょっと」の間に救いを求める。「で、君はわたしの何処を見て席を譲ることにしたのかね?」と聞きたい(問い詰めたい)ところだけど。
で、次に、テレビニュースでやっていた、タンロン遺跡広場を会場とする歴史系イベントへ。
ちなみに、テレビニュースのアナウンサーさんがすべて入れ替わっていた。CMも1つを除いて変わっていた。ジングルは一緒だったけど。
で、このイベント、以下の報道から紹介しよう。出典は「ベトジョー」(URL省略)。
タンロン遺跡に昔のハノイを再現、「ハノイの記憶」30日から
2015/12/29 03:09 JST配信
ハノイ市バーディン区の世界文化遺産タンロン城王宮跡(タンロン遺跡)で12月30日から2016年1月4日まで、昔のハノイ市の町並みを再現し、当時の文化を紹介するイベント「ハノイの記憶(Ky uc Ha Noi)」が開催される。
同イベントでは、◇ハノイ市の古い町並みや建築、手工芸品などの展示・インスタレーションアート、◇植木・フラワーアート、◇ファッションショー、◇華道などの文化芸術プログラムのほか、子どもが様々な民俗遊びを楽しめる「幼年時代の記憶」、ハノイフードフェスなど数々な催しが企画されている。
ハノイ市の古い町並みや建築では、電気鉄道や人力車、配給時代(1975年~1986年頃)のビアホールなどが再現される。また、3D体験空間も設けられ、かつての町並みをリアルに体験することができる。
今回のイベントは、同市観光局及びタンロン遺産保存センターの共催によるもので、大人世代は昔のハノイを思い出し、若い世代はハノイの古き良き文化を学ぶことができるほか、国内外の観光客を誘致し、今日まで受け継がれてきたハノイ市の土地や人々の真髄を知ることのできる場となる。 (引用終わり)
わたしが見聞きした(数少ない)経験からは、ヨーロッパで歴史系イベントをすると、大半がローマ帝国関連か、中世騎士道関連になる(ドイツ・フランス・イタリア)。ドイツなんて、ローマ帝国の辺境として位置づけられていたにもかかわらず、ローマ属州時代が好きなんだよね。あとは、騎士が活躍する中世で、時代考証なんてめちゃくちゃなんだろう、と素人が見てもわかるレベル。
日本だと、奈良・平安時代系イベントをする奈良や京都は別として、おそらくは戦国時代系か江戸時代系が大半だろう。
で、ここハノイでは、タンロン(昇龍)の時代ではなく、フランス植民地時代がテーマ。「抗仏戦争の意義はどうした?」と責めてみるのもいいけど、これは歴史教育のあり方にも課題があるのだろう、と思う。まあ、タンロン時代の歴史的風景を復元するなんて、図像史料がないので不可能だし、下手に復元しない、という態度をそれとして評価することも出来る。
ちなみに、世界遺産登録に関連して制作された、タンロンに関する映像はお蔵入りになっているらしい。わたし、見たことがあるけど、頭の中に「?」が飛び交う内容だった。
ま、今回、復元建物がチープな「張りぼて」だったことに救いを求める、か。
夕食は、Y兄さん、若手二人と合流して「肉々しい」お店へ。ベトナム最後の夕食となるわたしは、そこにベトナム料理を入れ込んでいく。ビール1本、ワイン赤白各1本。
で、「今日は静かに眠らせろ~!」と雄叫ぶY兄さんを置き去りにして、3人でチェーを食べに行く。これが、地元民がわんさかと集うお店で、実際にうまかった。
で、旧市街をふらふらして、結局道に迷って、で、タクシーに乗って帰還。
ベトナム、次はいつ来られるかな・・・
ハノイ帰着、および、調査団の解団式の宴は、なぜだかイタリア料理店へ。これもY兄さんの「いつものお約束」らしい。ちょうど洋物を食べたくなっていたところだから、まあ許す。店内は欧米人だらけで、店主(たぶんアメリカ人)はあやしい日本語を使った。
ここでは、プロセッコ1本、白1本。最後にグラッパ入りのエスプレッソを飲みたかったのだけど、カプチーノにグラッパを入れられてしまった。これは、おいしくない。
で、「もう眠たい~!」とごねるY兄さんを「説得」し、Y兄さんのホテルの部屋でみんなで紅白歌合戦を見る。若手男子は、「僕、明日が早いので・・・」と逃亡。残り3人(実質、2人)で、カラオケ状態に突入。Y兄さんは、大ファンのHちゃんの司会ぶりを堪能していた。
途中で、「おなかがすいたね」ということになり、ルームサービスでビール(本当はスパークリングがよかったのだけど、なかった)とフレンチフライ、揚げ春巻き(なぜ、ここに至ってこのような揚げ物三昧にしたのだろう・・・)を頼む。これ、Y兄さんの支払いに組み込まれるな。
で、日本の年明けを一緒に祝う。
さらに、ベトナムの年明けを祝うことに。「二人で行け~」というY兄さんを「説得」し、一緒に湖へ。祇園祭の宵山か、八坂神社の初詣か、というほどの人出。欧米人の姿もあり、時々、日本語も聞こえてくる。湖の周り2カ所でロック系コンサートが行われており、ビート音が伝わってくる。ベトナムの若者が歌詞を口ずさんでいたので、知られているグループなんだと思う。
人混みを嫌って「逃げてやる~」ともくろむY兄さんの首根っこを捕まえ、「都市史研究者ならば、この喧噪を味わねばっ!」と押さえ込む。湖の周りは、交通規制線がはられ、歩行者天国になっていた(それでも、そこにバイクが突っ込んでくるのが、ベトナムならでは)。
で、どこからかカウントダウンが始まり(わたしはベトナム語の数字がわからないので、最後の3つだけ)、大歓声と共に、花火があがる。ベトナムの年明け。
が、Y兄さんが、「なんだこれは~」と言うほどに、簡素なものだった。そりゃ日本の「たま~や~」系の花火を期待してはいけないことはわかっていたが、それにしてもね。「キョウラクにだまされた・・・」と文句を言うY兄さんをなだめすかして、湖を1周する。途中で食べたアイスが意外とうまかった(Y兄さんが買ってくれなかったので(けち)、自分でお金を出した)。
帰宅ラッシュのバイクをかき分け、Y兄さんをホテルに届けてから、歩いて自分のホテルに戻る。
2016年の年明けを海外で迎えた。今年も元気に活動していきたい。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
ハノイに戻ってきた。渋滞があるっ!、車が多いっ!、クラクションがうるさいっ!、みんなが信号を守らないっ!、公安が役に立たないっ!、高層マンションが建ち並んでいるっ!、と大都会ぶりにおどろく。
今朝はゆっくりと8:30にチェックアウト。そこから朝食へ行き、省庁へ。お礼の御挨拶をすると、文化室長さんが今日で定年退職だとか。で、最後の置き土産に、「実は、●●にも磨崖碑が・・・」とか、「××は今▲▲に・・・」といった情報を教えてくださる。出発時に教えてくれれば、対応できたのに。と思うけど、そこはベトナム、申請した調査地に許可を与えるというシステムなので、今日の情報は次回の調査申請にいかされることいなる。う~ん、まどろっこしいね。
続いて、博物館へ。史料の収蔵庫へ入れていただく。が、閲覧は事前申請がないので不可。目の前にある文書に触ることが出来ないもどかしさを感じる。が、ここの保管状況は良好だった。それが確認できただけでも、良いか。
で、あとはひたすらにハノイへ戻る。Y兄さんは、某大先生の教えを受けて、「移動途中も寝てはいけない。景色を目に焼き付けておくのだ!」とのたまう。まあ、わたしも二度と目にしない風景だからこそ、写真を撮ったり、注目したりするので、寝ている暇はない。が、高速道路に入ると、景色が見えにくくなるので眠くなる。で、おっとしまった、と思って隣のY兄さんを見ると、爆睡しておられた・・・おいっ!
ハノイでは、また別々の宿へ。わたしは土地勘のある場所へ。
これから夕食。で、今日は大晦日なので、みんなで一緒に夜遊びをする予定。花火が上がるそうですよ。
今日がタインホア調査の最終日。タインホア市から往復500キロの旅が終わる。「えらいきつい調査だった」、「だれや、こんなスケジュールを組んだんはっ!?」(おまえじゃっ!!)とY兄さんが愚痴るほどのハードスケジュールだった。楽しいけど。
朝の出発は7時なのに、泥酔状態のY兄さんは出発時間の変更をすっかりと忘れていて(Y兄さんが泥酔しているので、遅らせてあげたのに)、「お~い、6時半だよ、出発だよ~」と我々をたたき起こして回る(起きてはいるけど・・・)。迷惑な・・・、と一喝する。結局Y兄さんの酔いが覚めたのは、夕方(笑) で、また飲んだということで・・・
で、午前中は最後の訪問地、Vinh Locへ。都会である。人が多い、車が多い、でも、牛車もいたりする・・・
県庁で御挨拶をし、調査地の磨崖碑へ。山登りをして到着した洞窟には、磨崖碑が2つのはずが11個もあり、データ収集に手間取る。
さらに、近くにいたおばちゃんから得た情報で、まだ他にも石碑があることがわかり、所蔵者のお宅を訪問して見せていただく。これまた面白い史料。急遽追加購入した小麦粉を使って、データを集めていく。
今回、石碑を集中的に見て、紙の史料とはまた別の面白さがよくわかった。
お昼ご飯を挟んで、胡朝城へ。わたしは都市史研究者に戻って、走り回る。「急に元気になったね」と言われたけど、出てくる元気の質が違うような気がする。といっても、みんなと一緒なのでちょっと遠慮した。ので、いずれ一人で、羅城も含めて、思う存分歩き回りたい・・・
で、タインホア市内に戻る。車が多いっ!、道路に中央分離帯があるっ!、信号があるっ!、3階以上の建物があるっ!、高床式建物がないっ!、と事ごとに驚く。都会だ・・・
で、夕食に入ったレストランがきれい。床にゴミを落とすなんて、できない・・・残飯を狙う犬がいない(そもそもレストランに表玄関のドアがある)、レストランの飼い犬がトトロの服を着ている、おいしいけど値段が高い・・・
明日は、省庁へお礼の御挨拶と調査の結果報告をし、博物館で史料閲覧をさせていただき、ハノイに戻る。大都会に目がくらむような気がする・・・
調査もあと2日。なのに今まで「予想外のすばらしい史料」に出会えていないので、Y兄さんはちょっと元気がない。まあ、「ない」ということを確認するのも重要で、いずれ「隠れていた」ことが判明するかも知れない。それにしても、地域史料の現状、いろいろと言いたいことだらけですよ。
朝から県庁の職員さんと一緒に、調査地の村へ。そういえば、ここ数日は公安がついてこない。どこか陰で見張られているのかな。
たしかに、昨日の夕食時に隣で宴会をしていて、あとで乱入してきた(そういうこと、ベトナムではしょっちゅうである)一行は、警察官と公安の人たちだった・・・
ちなみに、今日の夕食時に乱入してきたのは、地元の高校の先生一行。体育(ボクシングが専門だと)と数学の先生と、飲みまくった。
ところで、村役場の主席は、日本の某俳優さんにそっくりで、一人心の中で受けていた。ベトナム人は結構日本人に似ている。特に、南方系の顔立ちをした日本人には、そっくりな人が多い。が、今回まわっている山岳地帯には、北方系の顔立ちをしたベトナム人もいて、これがいろんな人に似ているのである。わたし、某有名研究者のそっくりさんを3人、うちの犬の主治医のそっくりさん、うちの町内会長のそっくりさん、うちの大学関係者のそっくりさんに出会っている。いやぁ、海外にいる気がしないね。
ちなみに、わたしは北方系の顔立ちをしているので、「美人だ」と言って頂くことがある。特に、同世代のおじさんたちには受けがいい(と、Y兄さんにも指摘された)。ベトナムに移住しようかな・・・
さらにちなみに、泥酔したY兄さんが、しみじみと「キョウラクは30年前のアウンサンスーチーに似ているね」と言っていた。これは、最高の褒め言葉である。
(註:似ていません)
いつものように、石碑を解読したり、写真を撮影したり。このあたりは、いずれ調査報告書にまとめられる。
問題は、昼ご飯。Cam Thuy県庁のご招待。主席はお忙しいので、副主席がご出席。わたし、ベトナム語が話せないのに「ザオスー(教授)だから」という理由で、メインテーブルに座らされる。と、どうなるかというと、みんながお酌にやってくる。こちらのお酌というのは、リキュールをおちょこで一気飲みし合って、握手をする、ということ。
ムオンラットでは飲み過ぎて撃沈してしまったので、今回は慎重に「飲んだふり」をする。さすがに飲み干すことを強要はされないが、それでも哀しそうな顔をされたり、「飲めないのか?」と挑戦的な顔をされると、負けず嫌いの性格が災いして、受けて立ってしまう。ので、やっぱり飲み過ぎる。いったい何杯飲んだのか、覚えていない。
が、今日は、途中で「逃亡」に成功したわたしではなく、Y兄さんが撃沈した。宴会が終わっていったんホテルに戻ると、廊下でY兄さんがなんだか妙な踊りを踊りまくっていた。あほかっ!
夕食時にもアルコールが抜け切れていないY兄さんは言動不振のままだった。いろんなあほ写真をとりまくる。
で、若手と「戻ったら、Y兄さんの論文を読み直して、実は偉大な研究者だったことを思い出そうね」と誓い合う。思い出せるかなぁ。
明日は7:00出発・・・
今日は朝からCam Thuyの県庁へ。恒例の御挨拶。で、調査地へ。
まずは、洞窟に作られたお寺へ。文字が摩滅して読めない石碑があったが、どうやら新しいモノらしくY兄さんの興味をひかず。個人的には、洞窟の奥の奥にあった聖母道の礼拝所が面白かった。
寺守さんの飼い犬が遊びたがったので、かまってやったら大喜びだった。ベトナムでは、どんなに可愛くても、犬に触ってはいけない。この私も、それは肝に銘じている。が、今回は余りのかわいさに、つい手が出て、甲をぺろりと嘗められた。で、ハイタッチをしたがるので、甲で応えてやった。犬、大喜び。
そこから、さらに石碑をお持ちのお宅へ。割れた形跡が痛々しい石碑だったが、20世紀の史料としては面白そう。ベトナムの石碑文字にも慣れてきて、だんだんと時代がわかるような気がしてきた。
さらに、石碑に付随していた石の象の像を拝見に行く。なんで、別々のお宅に保管されているのかなっ?推測できるけど。
今日のハイライトは、磨崖碑。と聞いていたので、どんな断崖絶壁に彫られているのか、と思ったら、岩山の根元の方にあって、それを取り囲む形でお寺が出来ていた。
これが日本の戦国時代に相当する時代の史料。わたし、なで回す。文字については、Y兄さんが論文を書いてくれる、らしい。
午後からは、勅封を拝見に。ま、20世紀の史料なので、淡々と。但し、文書箱が面白かった。
さらに、この勅封と関連するらしき石碑に。これが、まあ、どうしたらこんなに石がすり減るかねぇ、というくらい文字が消えていた。
本日の調査最後のイベントは、岩山登り。磨崖碑が断崖絶壁じゃなかったんで油断していたら、断崖絶壁の上の洞窟寺院へ行くことになった。軍手を持ってきて良かったよ。私よりも2歳年上のY兄さんは、ぐでぐでによろめいていた。
お寺自体はなんということもなく、内部の磨崖碑も仏教関連のもの。ベトナム中世史の英雄に関わる遺跡だそうだが、まあ、口承伝承だね。それはそれで貴重だけど。
ということで、断崖絶壁からの景色を楽しんで、今日の調査は終了。
さすがに水牛がそこらにいる景色には慣れた。圃場整備をしていない水田にも感動しなくなった。それどころか、畦道チェックをして、「あそこは上手に作っている」とか「あそこはこけるで」とか論評をしている。
今日はホテルにおこもり。昨日の洗濯物が乾かなかったので、ドアを開け放して空気を入れ、靴下は椅子に並べて廊下に干して天日にさらした。ら、ホテルの人が通りかかって、ふふっと笑って何かを言った。たぶん「乾かしてあげるよ」と言っているな、と思ったので、「ちょっと待って。まだ中にもある」とジェスチャーで告げて、シャツなどを持ってきたら、爆笑された。
Y兄さんは「ここには乾燥機があるんだろう」と言っていたが、たぶん、アイロンで乾かしてくれたんだと思う。すきっと乾いたのを渡してくれた。金額を聞いたら、いらない、と言う。ありがたいことである。
夕食に、高床式の建物の食堂へ行った。2階部分にござを敷いて、座って食事をする。楽しい~!建物は3間×1間で、さらに外側に側柱が付いている構造。柱は、直径30㎝はある太いモノ。
お酒は、Y兄さんの大好きな「壺酒」。陶器の壺の中にお酒が入っていて、バナナの葉でくるんである。ということは、お酒は液体ではない。つまり、日本で言うところのどぶろくである。これを水で溶かして、篠竹のストローで吸って飲む。甘く、優しい味だった。が、結構アルコール度数は高いので、調子に乗って飲むと危ない。
で、わたしは調子に乗ったわけで、「疲れた~」とのたまうY兄さんを足で踏みつけてマッサージしてあげた。と、説明しなければ「単に踏みつけにしているとしか見えない」写真が撮れた。家宝にしよう。
明日は朝から県庁へ御挨拶の後、調査。
問題は、まだ乾いていない靴である。
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