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2007年11月 1日 (木)

今年もあと二ヶ月って、の日

 「忙しい」と口にするのは自分が時間管理が出来ない無能な人間であることを告白するようなものだから格好悪い、と思っているけど、だけどここしばらくは休みも取れない状態で、もうふらふらだから言っても許されるだろう。 忙しい~
 やっと一息付ける時が来て、今度の日曜日は完全にオフの日だしうれしい。早く半袖を片づけなくちゃ。

 10月12日(金) 非常勤先での3回目の講義で、私語による退場者を出す。今年は早い目に手を打っておこう、と思った次第。そんなに大きな声ではなかったけど、黙認するとどんどん広がってしまうからね。ただ、講義でしゃべりながら、どのタイミングで注意するかがいつも悩ましい。話の流れがとぎれるし、教室中が凍り付くし。それに、どの学生を指名して退場させるかも難しい。今回は4人ほどいた中で、一番服装の説明がしやすい学生を選んだ。「そこのピンクの服の人!」 あなたの隣の人は複雑な色合いのブラウスを着ているのよ、と思いながらも、教室を出るまでにらみ続ける。終了後のレスポンスカードに、「よくぞ注意してくれました」とのコメントが多く、これで授業アンケートで「私語を注意していましたか?」項目の高得点は決まったね、とほくそ笑む。次回授業までに、「京樂は本当に怖い」という噂が蔓延していますように!

 10月16日(火) 修論中間報告会。小姑が発表するので、ゼミ生たちが大挙して応援にやってきた。小姑は「最前列に座って、変な質問が出ないようにブロックして!」と頼んでいたが、どうせなら「最前列に後ろ向きに座って、変な質問をしようとする教員をにらみつける」とか「教員が質問する時間が無くなるほど、ゼミ生たちが質問しまくる」という作戦にでてほしかった。小姑の論点のおもしろさが伝わらなかったのは、もったいなかったね。

 10月25日(木) 環琵琶湖論実習、一日目。17人の1回生(うち、留学生2名)を2人の教員で引率する。私とペアのH先生はしっかりものなので、私は随分と楽をさせてもらった。感謝!バス会社との折衝(トラブル、と言い換えても良い)でも頼りになりましたぜ。私は右往左往しているだけ。
 佐和山城の横をかすめ、山崎山城に登る。すでに学生はばてている。しんがりをつとめるつもりが、あまりにも学生がとろいので、追い抜かす。「先生、元気ですね」と言われ、「若いもん!」と答える。君たちの2倍以上生きているけどね。
 五個荘を散策し、H先生のおかげでごちそうのお昼ご飯(お店に値下げ交渉をして下さった)を食べた後、安土へ。博物館で後輩のGさんに世話になる。バックヤードで某ブツを見せて頂き、狂喜乱舞。したのは、教員だけ。
 こうしたフィールドワークの時、どれだけ教員に食いついてくるか、これが学生の能力を判断する目安の一つとなる。常に教員の近くにいて、解説を一字一句漏らさぬよう聞いている学生は、伸びる。教室内での勉強とは違う能力を発揮する学生もいる。これが、学生を連れてフィールドワークをする楽しさだよな。私は見学地だけではなく、学生も観察するので大忙し。
 で、安土城に登る。有料化されてから初めて。登りたいルートを登らせてくれないので、不満たらたら。学生は無料の杖を見つけ、手にとって登り始める。ええ若いもんが、と笑いながら、同行していた写真館の担当者に「杖をついて石段を上がっているところをしっかりと写しておいて下さい」と頼む。これが4年後の卒業アルバムに採用されるのだよ。普通は、「あの頃は若かった」となるのだけど、このグループは違うね、きっと。とはいえ、すぐに杖が邪魔になり始めたらしく、かついで登っていた。「先生、杖いりませんか?」って魂胆は見え見えだし、いらんわい!

 10月26日(金) 実習2日目。近江八幡を歩き回る。誰の行いが悪いのか、雨。なのに、傘を宿に忘れてきた学生がいたりして、やっぱり1回生は1回生なのであった。そう、1回生は1回生なので、時間をきちんと守るのもお約束。この点は、ストレスがなかったね。
 近江八幡ではちょうどビエンナーレが行われていて、普段は公開されていない町屋に入ることが出来る。チケットを購入していると、「ビエンナーレ」という言葉の響きが面白いらしく学生たちが復唱している。が、「コンビナート」だの、「ビエンナート」だの間違って覚える学生がいて、将来が思いやられる。
 超現代芸術と町屋のコラボは面白いのだけど、H先生の解説が時にはういてしまっていた。しゃあないわな。
 夕方に八幡山に上がったけど、霧にかすんで何も見えず。「先生、本当は何が見えるんですか?」と聞かれ、「心の綺麗な人には城下町が見えるのじゃ」と答える。もちろん、私にも見えない。

 10月27日(土) 実習最終日。沖島へ。私は初めて。島の家並みも面白かったけど、お葬式の様子が興味深かった。島のおじいさんが亡くなって、船で焼き場へ運ぶ。専用の船があって、H先生は激写。島中の人が港に集まってくる中、葬儀会社の人が「住み慣れた島を今去っていきます」と告げる。学生たちも騒いだりせず、ちゃんと黙祷していた。
 大津へ移動し、博物館の展示を見学。私は文書に張り付く。そして、発掘現場へ。卒業生のN君の現場。上手に解説してくれた。後輩へのメッセージは?と聞くと、「土砂を運ぶアルバイトを募集中です」と。発掘がいかに楽しいか、はったりをかまして1回生をだまくらかすくらいのことをせんかい!
 大学へ帰着すると、うちの班がべべだった。ま、しゃあないわな。帰宅後、夕食を作る気力もなく、同居人と一緒に焼鳥屋さんでビールを飲みながらくだを巻く。

 10月28日(日) 前近代都市論研究会。久々にYYKが勢揃いして、やかましかった、らしい。報告がすっごくおもしろかったことはここでは紹介しないことにして(いつもだが)、宴会はネパール料理。スパイシーだけど辛くはないお料理だった。だけど、ビールが軽いのが不満。
 で、全員で2次会へ。洛中のボン(Y氏)お勧めのお店。焼酎を堪能する。ここで、もう一人の京都人(Y氏)がひこにゃんを知らないことが判明。即座に、「非国民!」と判定する。非国民といっても、非(近江)国民であって、井伊家から天誅をくだしてもらおう。元水戸藩士としては複雑な気分だが。ひこにゃんシールを手に入れて、Y氏の研究室のドアに貼り付けてやろうかと思ったが、もったいないのでやめておく。なお、Y氏は当然しまさこにゃんを知らず、大津に出現したというおおちゅーも知らなかった。こりゃ、滋賀県に足を踏み入れることが出来ないね。
 それよりも驚いたのは、ボンのY氏の携帯(を持っていることも不思議だが)にひこにゃんの写真がはいっていたこと。意外な接点だった。

 10月30日(火) 卒論中間報告会。3回生のうち4人がフェスタの打ち合わせのために男女共同参画センターの会議に出かけてしまい、応援団が私と小姑と3回生2人しかいないという中で、しかも、そのうちの一人は味方かどうかもわからないという状況の中で、ゼミ生Kはがんばって誤魔化した。5コマ目の授業が終わって研究室に戻ると、Kは必死の形相で勉強していた。「もっと早くからやらんかい!」と言いたいのをぐっとこらえて、今からでもやる気になって良かった、と思うことにする。おそらく、小姑、プレ博士らを巻き込んで飲みに行ったのだろうよ。

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